少し遅くなってしまいましたが。
グリーンマイル全公演お疲れ様でした!!
私は運よく友人に助けられ1度観劇することができました。
1度しか見ていないのに、
何度も見たかのようにいろいろなシーンが鮮明に頭の中にこびりついて離れない。
これほどまでに長い余韻の作品は初めてでした。
この余韻は1度きりの観劇だからこそのものなのかもしれません。
とにかく数日経ってからいろいろなことを考えた舞台でした。
見た直後なんて、ミスタージングルズかわいいとか、登場シーンでの結婚指輪とか、股間を押さえて倒れ込んだ自担の顔とか、とりあえず数えてみたら自担が7頭身だったとか、そんなことばっかりでした。(笑)
1番好きな登場人物は、永田凌さん演じるディーン。
看守の中では若手で、ポールとブルータスには可愛がられる後輩。パーシーのことを避難することで自分を正当化しているようにも見える、でも本当に真面目な看守。
幼い子どもを育てていると、自分が奪う死刑囚の命のことがよぎり、悩む。そんな役どころでした。
なんでディーンが好きなのかというと、パーシーを避難して自分を上げる狡猾さも持っているのに、小さな命を目の前にして立ち止まってしまう純粋さを持っているから。
この二面は面白いなぁと。
あと純粋にかっこいいなあって。(笑)
ディーンが悩んでいるとき、ジャケットを脱いだポールとブルータスとの3人で死刑制度について語り合う場面が本当に印象的なシーンでした。
ジャケットを脱いだ=看守として、仕事をまっとうすべき自分ではない、という理解で合っていると思うんですが、このシーンがとにかく良かった。一番印象に残っているのはこのシーンです。
(台詞はニュアンスとして読んでください。正確ではないです。)
ディーンは「僕たちがやっていることは、法で許されているだけの『人殺し』ではないか。ここに来る囚人たちと同じではないのか。」と問います。
それに対してポールは「民主主義の国で、死刑制度が容認されているということは、国民全員が犯罪者を殺しているのと同じこと。僕たちは代表してスイッチを押すだけ。」というような会話をします。
この、『民主主義の国の死刑は、国民全員で人殺しをしている』というポールの考えには本当に痺れた。この一言が、観劇後もずっとわたしの中に残ってぐるぐると余韻を残す。
日本は民主主義。
日本には死刑制度がある。
日本では首吊りによる死刑執行。
私たちも、人殺しなのかもしれない。
そう思うと、先の衆議院選挙の投票整理券ですら重たいものに感じました。
死刑制度が論点になった選挙ではないけれど、民主主義の怖さや選挙権を持つ責任がどっとのしかかったような感覚でした。
さてグリーンマイルに話を戻します(笑)
コーフィが死刑執行されたことに対して、コーフィは双子の少女を虐殺した罪に関しては無罪だから、「コーフィ可哀想」「死刑は覆らないのが残酷」という意見はよく分かる。
私だってデラクロアがすっかり改心して、小さなネズミのミスタージングルズを可愛がるいいおじさんになっているんだから、死刑になるなんて、とは思う。だけど死刑になるほどの罪を、過去には犯している。だから仕方ない、そう思う。
だけどコーフィは、ウォートンを殺した。
双子を殺した、真犯人であるウォートンを、自分の能力とパーシーを使って殺した。
コーフィは不思議な力を持った善人ではなく、あの瞬間から人殺しと呼ばれる人種になった。
だから、私は死刑執行に納得することが出来た。
デラクロアのほうがよっぽど『可哀想』という感情が浮かんでくる。
ずっと、ポールやブルータスのように、「コーフィはきっと悪くない、なにか真実が隠されているはずだ。コーフィを助けたい。」そう思って観ていたのに。
死刑になるような罪を犯していないコーフィが、死刑宣告を受け入れていることが悲しくて仕方がなかったのに。
なんというか…「裏切られた」という感覚が一番近いのかもしれません。
コーフィは双子を殺さなかっただけで、ウォートンを殺した。
自分を死刑にしたことを恨んでなのか、私にはそこまで推し量ることが出来なかったけれど、ポールに自分の余命を渡した。ポールに周りの人間が死んでゆく様を見せ、最後にひとり遺した。これも、コーフィの罪なんじゃないかな。
人を殺したコーフィのことを、最後まで信じ続けたポールに渡した命の長さ、つまりポールに歩かせたグリーンマイルはきっと果てしなく長いものだったんだと思う。ただ、ウォートンを殺すことで復讐を遂げたコーフィにしては、生きさせることで自分を殺したポールに復讐したのかなと思うと、ポールが生きた時間はちっぽけな時間なのかもしれないとわたしは思う。
最後までここが上手く言語化出来なくて、何度思い返してもコーフィが分からなくて、これは本当に、把瑠都さんにしてやられたな…という感じ(笑)
もともと黒人で身長2mもの大男の設定であるコーフィを把瑠都さんが演じるということで期待はしていて。
本当に把瑠都さんおっきくてコーフィそのもののような存在感があって素敵でした。片言のように感じるセリフが、逆に良い味だったというか…片言だからこそ読めない感情があって、怖さもあった。
演者さんで最も印象的だったのはウォートンを演じた鍛治直人さん。
あの強烈なまでの眼力とインパクト、負の方向に左右する存在感は圧倒的でした。特に看守の3人で話していて、ブルータスとディーンにウォートンが真犯人だとポールが話すシーン。もう死んでいるウォートンは3人の周りを歩き纏わりつくようにしているけれど、3人は気付いていない。でもウォートンの動きから全く目が離せないほど引き寄せられました。
完全なる悪人のウォートン、パーシーと折り合いが合わなくてほんっとにもう喧嘩ばっかりしてる…というか、ウォートンはパーシーに意地悪を言って、怯えるパーシーを楽しんでいるだけだけども。
そんなウォートンなのに、「地獄でもコーラが飲めたらな」と言われて、「地獄の話はやめてくれ」と泣き出す。ここの人間臭さがとにかくいい。色々と観ていくと、どうもこの時代の宗教であるとか信仰が色々関係しているみたいだけれど、この悪人も地獄を恐れる。それだけでウォートンが分からなくなって、さらに惹きつけられ、更に恐怖を覚える。このウォートンのギャップを生み出す鍛治さんがただただすごい、と思った。
ちなみに鍛治さんご本人はあの悪役ウォートンとのギャップに驚くくらい本当に優しい方です。だからこそ余計にすごい…。
とにかく、
わたしは自担である加藤シゲアキ主演舞台というだけで観劇したグリーンマイルにすっかり心を奪われてしまったのです。
演者の皆様、そしてグリーンマイルという作品について深く考えて見たくなる作品でした。
この作品に自担が主演として出演できた喜びと、無事に全公演が終了したことに感謝を込めて。