私のNEVERLAND〜あやめ編〜

NEVERLAND最高だよね!!
早くDVD出ないかな??

という話なんですが
個人的備忘録のためにいくつかに分けて書きます。

その第一弾がこの〜あやめ編〜。

これは二分される話だと思うので前置きしますが、わたしはオーラスのMCのあやめに関しては許容派です。
許容っていうのもおかしいかな、わたしはあれは好きですよというスタンスです。
まあこの話はほぼ最後まで出ませんが…。


さて本題。
今年の加藤シゲアキさんのソロ曲『あやめ』。

初めて聴いたときの感想は「またこの人とんだ世界観のヤツ作ってきたな…よく分からんからはよライナーノーツかシゲ部の解説来ないかなあ。」です。

こんなこと言うとあちこちのシゲアキ担のみなさまから批判来そうだけど、わたしは彼と価値観とか好きなものが全く被らないタイプのシゲアキ担なんです。
だから、せっかく紹介してくれた本とか曲とか映画とかもなかなか見れない。一番好きだってオススメしてた本も読んでみたけどどうしても苦手だった。
だけど、加藤さんの作るものは好きです。本も曲も。不思議なものですね。


「決して空想、夢想の彼方」ってもうそこから超加藤シゲアキの世界観だし、たしかに曲も歌声もコーラスもとても綺麗だけど理解するのは難しい。特にラップ(でいいのかな、紙で切れた〜の部分)に詰め込まれた情報が多すぎて自分なりに紐解くのも大変でした。解説してくれてありがとう加藤さん…

ライナーノーツの中で
「自分のなかの芸術観を全てこの曲にぶつけてみる」
という言葉がありましたがまさにこれ。
簡単にいうと「こういう感じの曲よくシゲ部でかけてるよね!こういうのシゲ好きだよね〜!」っていうのが分かりやすいのかなと思いますが。
そこにさらに「NEWSな2人」で取り扱ったLGBTやもともと持っていた知識、調べた新たな知識、持ち前の発想力と想像力が確かに詰め込まれて出来上がっていました。

私がNEWSを、加藤さんを好きになってから5年くらいになりますが、そこからの新しいソロ曲『ESCORT』も『星の王子さま』もとある世界観の中で歌われるものでした。間違いなく加藤さんの「やりたいこと」ではあるとは思います。が、加藤さんの「本当に表現したいこと」とはまた違っていたのかなと思います。加藤さんの思想、思考、そのものが表現されたのが今回の、現実世界の中で歌われる『あやめ』なのかなあと勝手に想像してしまいます。ついに加藤さんそのものを表現してくれるようになったのか、と思って初めてコンサートで聴いたときは泣きました…。勝手ながら加藤さんの成長に涙しました。


今回のテーマとして何度か発言していた、『多角的な愛』『多様性』ってそこだけ聞くと確かに難しいし、『あやめ』だけ聴いたんじゃやっぱり難しいし、だけどそれが表現されて分かりやすくなっていたのがコンサートの演出で。

冒頭の寝そべって歌い出すところから始まる『あやめ』。ダンスには詳しくないのでイメージでしかないですが、自分の内に秘めた何かが暴れていて、はじめのうちはそれでも良かったんだけど、ある時からそれを外へ出そうとするような動きに変わっていくように見えたんです。「だから僕は生きていく」という歌詞にも表現されているような決意が最後には虹を渡り、民衆を導く旗を手にする力になっている。
きっと加藤シゲアキであって、加藤シゲアキでない誰かが、掴みたかった何か、愛なのか夢なのか他の何かなのか分からないけれど、曲のラストにはしっかりと掴んでいると感じさせるんですよね。それがなんだかよく分からないままで、でもそれが『あやめ』に正解があるとしたときの正解に近いものな気がするんですよね。全部曖昧だけど、確実に共生している、まさに多様性かな、と。


あんまりあやめの加藤シゲアキを神格化するようなことは言いたくないのですが、周りのJrたちは民衆や誰かを否定するようなマイナスな感情で、加藤シゲアキは民衆を導く一筋の光、すべてを包み込む朝日のようなイメージでした。

クレーンを虹に見立ててそこを裸足で渡る加藤さん最高すぎません?ラストで旗を翻すのもめちゃくちゃかっこいいし、旗の音が聞こえるのも最高。神格化しちゃうよね〜わかるよわかる。

でも私は神格化したくないんですよ。

だって加藤さんはそんな雲の上から言葉を発していないから。
「それでも前向いて歩こうや」
「あなたと手を繋ぎ 重ね重ね塗り描いてこう」
これってきっと民衆である私達と同じ立場からの言葉だと思うんですよね。だからこそ、「消して嘘 感傷よ放て」という歌詞が成立する。と私は思います。


3回目に『あやめ』を見た時、「私は加藤シゲアキさんが大好きだけれど、加藤シゲアキさんが伝えたいことをちっとも理解できない。悔しい。」と泣きました。だって分かんないんだもん。ここまで書いて言うのもなんだけど全部私の感じたことでしかないからもしかしたら他の方とは全く違う解釈で、本人の伝えたかったものと違う伝わり方で私が受け取ったかもしれないんだもん。

だけど、私が感じて、掴んだことだから。これが私の、拙い私なりの答えだから。こんな解釈があってもいいよね、と思っておきます。


最後に2017年6月11日のオーラスのあやめ話。

この時私は東京ドームの二階席にいました。
このツアーずっとメンバーが『あやめ』の話をしていて、もうとにかく大好きでそれはそれは愛されていて。愛のあるいじり…と表現してもいいのかな。こんなに好きになってくれて嬉しいと加藤さんが言うほど、メンバーたちは普段からあやめを歌っていました。

その愛ゆえの『あやめ再現』。
私は正直、めっちゃ面白かったしたくさん笑った。あそこまで再現してくれるメンバーにもジュニアにもスタッフさんにも、加藤さんへの愛しかなくて幸せだなあ、有り難いなあって思ってました。
後から、あれを良しと思わなかった人の意見も聞いて、なるほどなあと思ったけど、うん、私は面白かったとしか。
だってあんなに楽しそうにあやめを歌う3人がいて、それを見守る加藤さんがいてってNEWSの構図として最高に暖かくて幸せだなって思うんですもん。
加藤さんのソロのあやめは確かに美しくて儚くて素敵だけど、愛に溢れたあのあやめもひとつの形として素敵だと思います。


さあ長い『あやめ』の話もこれでおしまい。
もうこのあやめを生で見ることがないと思うと寂しいけれど、映像になるのを楽しみに毎日強く生きていこうと思います!